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プラチナ強制供出「週報」記事

時代 昭和19年10月18日
寸法 縦○○cm、横○○cm
備考 16ページ
分類項目  


プラチナはジュエリーの素材としても重要だが、工業用としての価値は更に高い。特に戦時においては兵器製造に欠かせない最重要物資になる。
昭和11年、戦争になればプラチナの輸入が出来なくなるので、今の時期に蓄えておこうという趣旨で内閣資源局長を会長とする日本白金協会が地金商などによって組織された。
翌12年6月までにはロンドンのジョンソン・マーセー他から通常の4年分のプラチナを購入している。
しかし本格的備蓄はこれからというところで、12年7月には日中戦争が始まり、日本へのプラチナ輸入はとだえた。
戦況がひっ迫した昭和19年、軍需省はプラチナの強制供出に踏み切った。同時期に行われたダイヤモンド供出が強制ではなったのに対しプラチナは強制で、しかも違反した者は処罰するという厳しいものだった。
しかしなぜ、この期に及んでプラチナが緊急に必要なのかとなると、「篤と御高察の上」(手紙)、「白金の果す役割の重要さは既にご存知の通り」(週報)というのみで、もうひとつ要領を得ない。
軍の仕事に携わっていた地金商の徳力の資料(『徳力のあゆみ』『金―その昔と今―』)によると、当時、戦況打開のために軍はロケット機を秘密裡に作ろうとしていた。その際、ロケット弾用の過酸化水素の製造に必要な白金電極に、供出されたプラチナを使う計画だったようだ。軍はこれを「まるろ」作戦と称した。20年7月にはロケット機(秋水)のテスト飛行失敗、同年8月にはジェット機(橘花)のテスト成功と記録は残っているが、時すでに遅く、敗戦となった。



 
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