(1)明治11年、月岡芳年「見立多以盡」
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美人錦絵が記録した明治10年代初めの指輪
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寸法 |
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備考 |
『日本の宝飾文化史』P112 |
分類項目 |
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指輪は、和服でも抵抗なく付けられるジュエリーである。そのため明治の早い時期から取り入れられ、明治7年には「婦女子等手の指に輪金(指輪のこと)を用いるは当今一般の流行なり」(『新聞雑誌』)と報じられるまでになった。この頃の指輪は「青金もしくは銀金めっきに、家の紋など彫刻した」(『明治事物起原』)ものが多かった。
指輪が更に盛んになったのは明治10年に上野で開かれた第1回内国勧業博覧会の頃からである。『明治事物起原』によると、この博覧会を契機として「粧飾界も西洋崇拝の度を高め、西洋風の廉物の模造となり にせ宝石入りの指輪盛んに」なった。この傾向は明治20年頃まで続いたという。
この時代の指輪は残っていないが、幸い、指輪を付けた女性を描いた錦絵がある。文章の記録だけでは、そんな早い時期に指輪があったことが納得しにくい。が、こうした錦絵を見ると指輪を付けていた女性が本当にいたことが実感できる。
(1)は明治11年に描かれた月岡芳年による「見立多以盡」。杯を持つ左手中指に金色の指輪。玉らしきもので飾られている。
(2)は同じく明治11年、豊原国周「開化人情鏡」。左手薬指に銀色のかまぼこ型(甲丸)指輪。
(3)は明治14年、月岡芳年「新柳二十図時」。右手中指の指輪の輪郭は赤で彩色されている。
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